2011年2月24日 (木)

久しぶりのブログ。最近の自然

昨年(2010年)の7月に一新会の隠岐旅行の記録を投稿して以来、七カ月がたちました。記録的な猛暑の夏を過ぎ、冬は寒い日が続きました。日本海側には記録的な積雪の今冬でした。

 私は天候不順に打ち勝ち、早朝のウオーキングとラジオ体操を続けております。年賀状等で、ブログを見ているとの声を聞き、気になっていたブログを再開することにしました。

1.夜明け。

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6時30分からのラジオ体操です。12月と1月は暗い中の体操でした。1月1日から16日までの福岡の日の出の時刻は7時23分と続き遅い夜明けでした。1月17日からは日毎に日の出は早くなり、薄明の中に家を出て、今日2月24日は6時54分の日の出、30分も早くなりました。30名以上の早起きさんがラジオ体操をします。
ラジオを聴きながら展望公園を通り、カラス、続いて早起きドリの小鳥のさえずりを聞きながらウオーキングをして美和台の東公園に来ますと、東の筑紫山地に上る朝日に出くわしました。

Conv0011 Conv0012  雲一つ無く、筑紫山地の稜線がくっきりと、そして太陽の上る瞬間を捉える事が出来ました。このようなチャンスは年間そうあるものではありません。

2.庭に来る鳥たち

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楓の枝にミカンを付けるとすぐにメジロが飛んできます。

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 スズメが来てメジロを追い払います。昨年の1月31日のブログ「近所の鳥」にメジロとスズメが並んで木にとまっている珍しい写真を載せました。

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バシャ、バシャと羽音を立ててヒヨドリが来るとメジロもスズメも追い払われます。ミカンは食べつくされます。

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庭の畑に大きい鳥のシロハラが来て土をホゼクリ虫を捕っています。

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もうじきジョウビタキが来るのが楽しみです。

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ときどきカラスの襲来、キジハトも来ます。

シジュウカラのツーピーの声が聞こえます。家に居ながらにして楽しめる我が家の訪問者です。

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2010年7月24日 (土)

一新会の隠岐旅行 補遺ー2-水木妖怪ワールド

1.水木妖怪ワールド

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NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」を楽しく見ています。この作品の原点になった水木しげるさんには色々興味があり、出身地の境港市を訪ねました。

① 太平洋戦争の激戦地、15万の日本兵士が送り込まれ、10万人以上が死んだ悲しい戦跡「ラバウル」より、一兵士の身で左腕を失いながら生還した人。

現地の人、土と共に生きる人「大地の民」と親しみを持つ水木さんの人を造ったラバウルの地を見たく、私は2008年1月この地を訪ねました。

② ペンネーム 水木は戦後の昭和25年 神戸市兵庫区水木道に譲り受けたアパートの名が「水木荘」で、紙芝居の名人「鈴木勝丸」さんが本名「武良茂」を覚えてくれず、何時まで経っても「水木さん」と呼ぶので、それに従って付けた名前。その、あいまいさと私が「神戸」出で、土地勘もあり親しさを覚えました。

③ 妖怪好き; 「ベビィ」(水木語で子供の意味)のころ武良家に手伝いに来ていた景山ふさと云う老婆「のんのんさん」がお化けや妖怪、地獄の話をしてくれた。菩提寺の「正福寺」に「地獄、極楽」の絵がある。などの幼時体験にもとずく。自然を恐れ、人を敬う心が、今重要と思う。

④ 「なまけものになりなさい」と云う水木さんの幸福論;ただし若いときは怠けてはだめ。好きな道、努力しなくては食えません。老年になっらたら愉快に怠けなさいと言う意味。

このように水木しげるに興味を持って、滅多に行く機会のない山陰のこの地を訪ねました。

2.妖怪あふれる境港市

カニ水揚げ日本一と云う漁港の町が、水木しげるの生誕の地、NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」の人気に加速されて妖怪の町、鬼太郎の町に隠岐より船でつきました。フェリーに繋がる渡船橋を降りた所がJR境港駅。ここから妖怪の町が始まる。

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駅前に水木先生執筆中、鬼太郎ポストが並び妖怪の町が始まる。

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①水木しげる ロード

駅前から東に延びる800mの本町道りが水木しげるロード。橋の欄干、店の中、あらゆる所に妖怪が潜む。2010年4月現在妖怪ブロンズ像139体で今なお増え続けている。

「妖怪ガイドブック」を購入、駅前の観光案内所で貸自転車を借り、探索に出かけました。

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小さい妖怪くんもカワユイ。写真を撮っていると限がない、河童の泉。0105 0098

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妖怪神社、水木しげる記念館を詳しく見る。

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妖怪神社の門前に「目玉おやじ清め水」が設置されていた。大きな大理石の目玉が流れ出る水でくるくる回転するものです。近所の米子高専が開発したものです。

大きい怪獣、小さい怪獣、町中怪獣がそこかしこにうごめいている。「怪獣ガイドブック」を見ながら多く人が歩いている。楽しい街です。

② 境港の町

自転車を駆って水木先生の生家を訪ねる。

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水木プロダクションの看板と道標があった。

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生家は境水道の近く、対岸の島根県まで石がとどきそうです。妖怪の森がありそうです。

水木先生が幼少時代に影響を受け、妖怪画の原点となった地獄極楽絵のある菩提寺の正福寺まで行きたかったのですが雨が強くなり残念でした。

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妖怪の壁画が描かれた倉庫がある。交番も鬼太郎交番。郵便局も鬼太郎。駅前のポストにも鬼太郎がいる。JR境港駅も鬼太郎駅と呼ばれている。

町中に妖怪が溢れていました。先日訪れた隠岐の島には水木家の故郷と言われる「武良郷」が「島後ろ」にあり隠岐へのフェリーに「鬼太郎フェリー」が就航している。

米子から境港までの16駅、すべてに妖怪の愛称名がつき、「鬼太郎列車」が運行されている。

③ 妖怪列車が走るJR境線

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鬼太郎列車とねこ娘列車。

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高松町駅はすねこすり駅と呼ばれ妖怪の絵が駅名。米子空港は「米子鬼太郎空港」と呼ばれ、JRの駅はべとべとさん駅と呼ばれる。

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16番目の米子駅は0番線,ねずみ男駅。

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ホームの乗り換え階段にも鬼太郎の絵。次の駅、安来に立ち寄る。

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安来はどじょうすくいで有名な「安来節」の発祥の地,一新会の旅行で訪ねた日本一の庭園「足立美術館」の在るところです。今年は「げげげの女房」で好評の水木しげるの妻、布枝夫人のふるさとで賑わっています。駅前の風景を楽しみました。

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駅の裏には「日立金属」の安来工場がありました。

3 水木しげるの原点

今回の一新会旅行で水木しげるの妖怪を随分見てきました。初めは水木と言う名前が私の出生の神戸の地名に関する事で興味を持ちました。なぜ水木先生が妖怪に興味を持って居られるのかを知りたいと思いました。若いころの下働きの「のんのんば」の妖怪の話、菩提寺正福寺で見た地獄極楽の絵、境水道の景色などより、水木少年は、現実とは別に「目に見えないもう一つの世界がある」ことを確信したことが先ず第一。次に太平洋戦争でニューギニア戦線で何度も死にそうになりながら、生き延びることが出来たのは、戦争とは別の楽園世界、現地人たちの不思議な世界がある事を知った事にあると水木先生は言っておられます。

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私は2008年1月雲で霞むラバウルに行ってきました。現地の子供たちは大きく
手を振って、「ラバウルの歌」を歌を歌いながら歓迎をしてくれました。

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水木先生の原点に接した気持でした。

目に見えない、もう一つの世界に乾杯!!

水木しげる氏顕彰像

2009年、水木しげる氏米寿の年、先生の功績を讃えるために創られた顕彰像。

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石碑には先生の名言「なまけ者になりなさい」と刻まれている。
先生は長い下積みの中貧困に耐え、好きな絵を、先生の理想の下に、ひたすら励まれ
ました。米寿の年を迎えてようやく「なまけ者になりなさい」との心境になられたものです。何もできない若者に「なまけ者になれ」とは言われていない事は先生の生涯から明らかです。

年配になって、厚かましく蔓延る者への警告と思われます。

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2010年7月20日 (火)

一新会の隠岐旅行 補遺-1-境水道

1.島根半島を目指して船が行く。

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隠岐旅行の三日目、日本海にあった低気圧のため海は荒れ、波高く、予定の島前から島後までの舟、レインボーは欠航しました。ホテルで全員の写真を撮り、私は一人でフリー「しらしま」で本土へ渡ることとしました。関西、関東組の18名は中ノ島の観光をし昼のふぇりー「くにが」で島後の西郷に渡り、予定の飛行機をつかまえて大阪・伊丹に行くことになりました。私の今年の「一新会旅行」は有意義に終わり来年の再会を待ちます。

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フェりーしらしまは2,343とんの外洋船で、海の荒れた日も隠岐と本土を結ぶ事ができ、通称「鬼太郎フェリー」と呼ばれている 。

菱浦港を出てホテルを見ながら西ノ島の「目玉おやじ」と「一反木綿」の絵のある別府港へ。

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島前の中ノ島と西ノ島間の穏やかな内海をとおり、島前内航船と出会う。

次は知夫島の来居港、昨日、赤壁観光できた港です。らせんの港への道路が印象に。

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菱浦港を出てから1時間15分、フェリーは船の出し入れに時間がかかる。
いよいよ、隠岐ともお別れ、島影が遠くなるが、曇天のために島根半島は見えない。境港まで2時間25分。船の乗客は横になる人が多い。今回はフェリーよりの乗り換えで一等室に乗る。ゆったりとした部屋で寝転ぶ。私も微睡(まどろむ)。

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船は島根半島の東端、美保関を回り境水道に入っていました。

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島根県の島根半島と鳥取県の弓ヶ浜半島を結ぶ境水道大橋(709m長さ、40m高さの国道の橋),灯台のある国指定の史跡砲台跡の公園を通る所でした。

2.境水道

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境水道は弓ヶ浜半島の北端、長さ7.5km幅200~600mの長細い水道で、中央部に隠岐汽船の発着場、観光案内所(みなとさかい交流館)、境港駅(鬼太郎駅)がある。ここから水木しげるロードの妖怪探策が始まる。

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境港のフェリー乗り場に今日は欠航になったレインボー2が停泊していた。
境港駅はみなとさかい交流館(観光案内所)と隣接している。

3.島根半島への興味

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A。隠岐汽船が境港と七類港に分かれる理由。

隠岐に通う航路は島根県の「隠岐汽船(株)」が カーフェリーと高速船で運営している。港は島根半島の日本海に面した外海の「七類(しちるい)港と美保が関を曲がり込んだ鳥取県の境港に分かれている。境港は古く北前船の寄港地であり、漁港であり、外国船も入港する港です。特に季節風の吹く冬季には、内海の境港は優れた港であった。
一方、七類港、読み方も難しい、は外海で隠岐の島に近く早く到着できる。七類港は日本海側で三方が山に囲まれ、冬季の北西の風に対し安全な地形である事から、日本海航路の避難港として使われてきました。昭和47年から本格的な整備が行われ、現在では大方フェリーや超高速船も利用されるようになり。隠岐汽船の発着が行われている。七類港からトンネルを越えて15分で境港につく。

B。大きな湖、宍道湖(第7位の広さ)と中海(第5位)

共に海跡湖、淡水と汽水湖。魚や貝、海藻も多く、鳥類、特にガン・カモ類は毎年75000羽以上が飛来し、ラムサール条約に登録されている。
宍道湖は大橋川で中海につながり、中海は境水道で日本海につながる。中海は1954年に大規模な干拓・淡水化事業が計画され実施もされたが、2005年に廃止が決定し2009年には中浦水門が撤去された。

C。弓ヶ浜半島。

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境港市と米子市をつなぐ、幅4Km全長17Km弓状の半島。外洋側は長い砂州で白砂青松百選に選定されている。

その形と成因に興味がありました。元々島であった所に日野川からの土砂が風や波で半島が形成されたという。平安時代に半島が形成されたという。福岡の海の中道と志賀島の形成と似たように思いました。

一新会の隠岐旅行のおかげで山陰の地理に教えられることが多くありました。

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2010年6月25日 (金)

一新会の隠岐旅行ー4

3日目の予定,急遽変更。日本海の波 嶮しい

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3日目、ホテルを7時40分に出て、菱浦港、7時54分発の隠岐汽船の「レインボー2」に乗り、島後水道を渡り、島後の西郷港に8.26分着、島を東回りして歴史と最北端の景勝の地「白鳥海岸」を見ると言うハイライトが予定されていた。

5月27日、日本海の波は高く、高速艇「レインボー2」は欠航となりました。日本海に浮かぶ孤島、現実の厳しさを知りました。

大阪組と関東組の18名の飛行機は島後の隠岐空港、14時30分、これに乗るための唯一の手段は、菱浦港12時50分発、西郷港14時着、そして空港まで直行して乗るしかない。ここで添乗員の出番、空港に連絡して乗れるように依頼。 この様なことも隠岐旅行の真髄、貴重な経験をしました。午前中の中の島の見学の手配もばっちり。添乗員の有難さがわかりました。

九州に帰る私はここで来年の一新会旅行で再会を約束し、隠岐汽船のフェリー「しらしま」で菱浦港9時40分発、別府港,来居港を経て、境港13時20分着で、ゆっくりと帰りました。

本土より隠岐へのアクセス

 飛行機による
   大阪(伊丹)路線 1日  1往復
   出雲市 路線  1日  1往復

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 航路
  境市 七類または境港間から 西郷港、菱浦港、別府港、来居港を回る
   フェリー(2300トン) おき,くにが、しらしま 3往復
   高速船 レインボーー2  2往復   波高 2.5mで欠航。

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フェリーしらしまへ乗船。      欠航のレインボー2は境港に停泊中。

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フェリーしらしまの船内.       しらしまは鬼太郎フェリーの名。

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波 荒い。             高速船欠航の掲示。フェリーの切符売り場。

島前(とうぜん) 三島間の海上バス

 島前内航路  中ノ島ー菱浦港。 西ノ島ー別府港。 知夫里島ー来居港
   フェリーとうぜん200トン 車両積載可
   いそかぜ 20トン    人のみ

今回の様に、海がしけた場合は レインボ-2 は欠航するので、注意が肝要。

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車積載可のフェリーとうぜん。  とうぜんの客席。

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島前内航路 乗り場。       いそかぜ

日本海の孤島のために、空、海上ともに、利用者は変動が大きく、経済的に大変なようです。離島の援助が必要です。

隠岐の地理と歴史。

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隠岐諸島は島根半島の北約50kmにある諸島。4の大きな島と180の付属小島。
天気の良い日は双方から見られます。前1万年の縄文早期には人が住み着き本土との活発な交流があった跡が石器や土器に現われている。古代には隠岐国が置かれ、古くから遠流の島として知られていました。日本海の孤島ウルルン島や竹島(韓国名 独島)からは見えることはない。

韓国から対馬は見え、ここから壱岐そして九州も見ることが出来、朝鮮半島と日本の間で古くから人、物、文化、宗教などの交流があった。

隠岐にも朝鮮人との交流の跡が古墳(200以上)に見られる。その経路は朝鮮半島から直接来たのではなく、九州経由、日本への多くの交流によるものと私は考えている。

隠岐の島も韓国のものだとの声も聞こえるが、それは地理的にも、歴史的にも肯けるものではない。

もう一つ、隠岐には延喜式内社が15社,内 名神大社が4社もある。辺境の地にもかかわらず名神大社が多いのは、新羅に近いため、国防上の見地から朝廷の尊崇を受けたためとされている。

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由良比女神社。          イカ寄せの浜。

大社の一つ、由良比女神社を、2日目の国賀海岸に行く途中の、バスより見ました。海上鳥居が立つ社前の由良の浜には秋にイカが押し寄せて来るとのこと、「いか寄せの浜」と呼ばれているそうです。

2010年の一新会旅行の企画と来年も

日本海に浮かぶ辺境のわが日本の地「隠岐」を見たいとの強い希望がありました。今回の旅でいろんな経験をし、私にとって初めての日本の地について知ることができました。

傘寿を迎えたクラスメートが、来年も素晴らしい企画で、元気に相集うことを大いに望む次第です。
   
 

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2010年6月19日 (土)

一新会の隠岐旅行ー3

島前の心 に残る大自然、日本のジオパークを見た。

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隠岐に行ってきました と言うと「大きい魚が釣れましたか」と聞かれるのだ大体のところです。 年配の方からは遠島の跡を見てきたのかと聞かれる。

ありのままの大自然。心に残る風景がここにある事を知ったのが最高の収穫でした。

島前の生い立ち。

島後がまん丸い形に対し,島前は複雑な形の3っの島からできている。かっては西の島の
「焼火山」を中心とした一つの火山島でした。何回もの火山活動、海に沈んだり、浮かんだり、溶岩が噴出しカルデラが形成されます。そこへ海水が流れ込んで湾が出来て現在の形となったそうです。

島の西から北部にかけては激しい季節風による波に削られて断崖や洞窟が連なり、西の島の「国賀海岸」知夫里島の「赤壁」などの雄大な大自然ができました。

2009年10月には日本ジオパークに認定されました。隠岐はユーラシア大陸から分離して日本海が誕生し、隠岐の地質、自然環境・歴史・文化などの地域資源は世界的に見ても貴重ととされて認定され、更にユネスコの支援する「世界ジオパーク」に向けて活動しているそうです。

国賀海岸

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海岸上の段丘は広い草地で、古くから「牧畑」と呼ばれる牛や馬の放牧場になっていた。

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段丘の1画に戦争の跡があった。一つは監視所跡。日本海の警備のために、丘の下に監視所をつくったとあった。

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「山本幡男顕彰の碑」  大きな自然岩の碑、北の方日本海に面し、丘の上に立っていました。 瀬島龍三 書と有りましたので写真を写しました。「山本幡男」さんはここ西の島出身、終戦後ソ連の収容所で強制労働させられた日本人60万人のお一人、密告で二五年の刑を受け、昭和二九年ソ連で病死された方でした。生きる希望を語り、日本人として心を失ってはいけないと俳句の会をつくり同朋を励ました「偉大なる凡人 山本幡男」の碑でした。海から1000kmも離れたシベリヤの地で「海鳴りの音」を聞く詩です。

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NHK朝ドラのだんだん撮影の診療所を通り、別府港へ。16時10分発知夫里島の来居港へ。

 

知夫の赤壁

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ザックリとえぐられた赤茶色の岩肌、日本海の波からそそりたつ200mの大岩壁に圧倒されました。

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牧畑の中を行く。草原、森の中にノンビリト牛が草をはむ。歩道に牛が入らないように柵がしている。柵の外に出ると牛の糞を踏まないように要注意。

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草原にはきれいな「アザミ」の花が咲いていました。来居港のアプローチの道。

17時44分来居(クルイ)港を出て、島前内航船「いそかぜ」で本日の宿の 菱浦港へ18時00分。

観光も島前内航船の時間に合わせるように進みます。 本日の実りの多い隠岐の島めぐりは終わりました。

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2010年6月15日 (火)

一新会の隠岐旅行ー2

隠岐の島-2 (島前 遠流の島を訪ねて)

0023 隠岐諸島は島後水道を境に島後(ドウゴ)と島前(ドウゼン)に分けられている。

旅行の2日目は島前めぐりをしました。ここには三島と呼ばれ、中之島(海士町)、西の島(西ノ町),知夫里島(知夫村)から構成されているが、付属の小さい島は全諸島で約180を数えると言う。

隠岐の島は古くから遠流の島として知られている。有名な後鳥羽上皇と後醍醐天皇の遺跡を訪ねました。

海士(アマ)町の後鳥羽上皇の隠岐神社

島後の西郷港より「フェリーしらしま」で荒れる水道をおお揺れの中70分、島前の中之島の菱浦港につきました。
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後鳥羽上皇行在所、ご火葬所跡をたずねる。

82代の天皇でしたが19歳で上皇になり、北条に対し兵をあげ(承久の変)て敗北し隠岐に敗流されました。望郷の気持ちの中、19年間この地で過ごされ、崩御されました。歌人で多くの和歌を残され、また刀工を招き自らも刀を作られたと言う。この地で火葬され、御骨は京都に持ち帰り、大原西林院に安置され、大阪・島本町の水無瀬神宮に祭られています。この地には御火葬塚、行在所跡があり、昭和14年に建立された壮大な隠岐神社がありました。

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「われこそは 新島守よ おきの海の  あらき海風 心して吹け 」。 

階段脇にオスとメスの面白い狛犬さんがありました。

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ガイドさんが指さすところに子供がいます。これがメスとのこと。

菱浦港11時20分発の島前内航路「フェリーとうぜん」で西ノ島の別府港11時35分着。昼食後後醍醐天皇の黒木神社へ。

後醍醐天皇配流の地、黒木御所

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島の東端の海の見える高台に御所の跡がありました。1332年の1年後名和長年を頼って隠岐を脱出、建武の中興を成し遂げました。

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蜜教へ傾倒された天皇の肖像。

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「ミヤコワスレ」の花がさいていました。

次に隠岐の自然を楽しみました。

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2010年6月12日 (土)

一新会の隠岐旅行-1

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一新会の隠岐旅行

戦後アメリカの制度に改革された新制度に、昭和24年(1949年)大学に入学した1期生の我々は「一新会」と命名した同窓会を結成しました。猛烈に仕事に励み、今は80歳になって自適の日々を送っている。
 毎年、クラスの旅行をしているが、今年は故あって隠岐への2泊3日の旅を2010年5月25日から始めました。東京、大阪、九州から14名、4名の奥さんが参加し、「島後」「島前」を回りました。

0002 伊丹空港午後一時、元気な姿で集合。プロペラ機で一時間の空の旅、「島後」の「西郷空港」に着く。早速バスにて見学。

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島後西回り

島内、ただ一人と自称する 博識のガイドの名調子にのって。闘牛、隠岐では「牛突き」という。観光のシンボルの石の彫刻。

海辺に杉の板の舟小屋が残っていた。

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屋那の松原

島,唯一の斜長橋を渡り、島の南西の海岸「屋那松原」に着く。800才まで生きた八百比丘尼が一晩で植えた松という松原。今は松くい虫で枯れた物も目立つ。ここで一日目の記念撮影。

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壇鏡神社・壇鏡の滝(裏見の滝)

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那久川に沿って山に入ると、佐山牛突き場があり、やがて鬱蒼とした樹木の生い茂った深山に来る。ここに壇鏡神社がある。鳥居をくぐり、シダの茂った山道を登ると社殿(平成11年、火災で全焼して仮の宮)の両側に2ッの滝が見られた。左側が落差35mの雌滝、右側が落差45mの雄滝です。

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左の写真で滝壺に大きな洞窟があり、人がいる。滝の裏側にもいる。

右の写真は滝壺の裏へ回り、上を見て撮ったものです90度右に回して見てください。このような滝を裏見の滝と呼び、日本では10滝ほどあるそうです。

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壇鏡神社の創立は不祥だが、1200年前と考えられる。滝の傍の壇の上に1個の神鏡を見つけた光山寺の法師が小祠を作り祀ったのが社名の起こりといわれている。
境内の狛犬さんもふるそうです。

バスと鳥居の間に杉の大木が2本建っている。昔、壇鏡神社に出雲大社の神殿修理のために境内の木を要求されました。村民が2本の大きい杉の木を守るために、鳥居を本殿側に動かして、この木は壇鏡神社のものでは無いと言って残ったと案内板に書いてありました。

バスは西郷の湾に引き返し、湾奥の今夜の宿舎「ホテルニューかじたに」到着。大広間で海の幸の夕食に舌鼓を打った。

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2010年5月13日 (木)

路傍の草に雲が?

雨のウオーキングの路傍で、一群の草が白く輝く面白い光景を見ました。「あれは なーに?」と不思議に思う人がいました。

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10cm位の高さの草の群落でした。

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マクロ撮影をしました。 雲の様に見えたのは細かい水滴ということがわかりました。雨の中を歩いて、この うっとり するような綺麗な現象を見ることができました。
この草はなんでしょう?

0006 更に拡大しますと、長さ2~3の小穂を持つ「イネ科」の草であることがわかりました。

「朝露に光る小さな草」・・・とGoogleで検索し、「コヌカグサ」らしいことがわかりました。

「コヌカグサ」 イネ科、ドヌカボ属、別名レッドトップ、道端や草地に生育し5~8月に開花。明治初期に牧草として導入されたものが、逸出したもので、現在は全国的に草地などに野生化したもの。名前は「小糠草」で小穂が小さいことに由来するとあります。

雨の日に一面に輝く草の集団に関心を持って草の名前がわかりました。

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2010年5月 2日 (日)

4月の自然

     2010年の4月、寒い日が繰り返し襲来し、曇天の多いっこ年でした。
それでも、徐々に暖かくなり、夜明けも早くなり、季節の草木は時を刻んでいく。

1.木の花の変化
  今年は3月中旬から桜は開花し、4月初めまで楽しみました。桜の次に、四十ヶ浦池に綺麗に花をつけるのは「サイフリボク」です。池の畔に二本の木があり、白い花を木いっぱいに付け、対岸の遠くからもと組みえました。何の木と伺いますと「サイフリボク」との事。覚えにくいので「大宰府」の古都を「サイフ」と言います事と関連付けて思えました。二年前、大きい木が根元より切られました。直径80cmもある木でした。ここの公園管理の人は木を切ることしかしないようです。今はあまり目立たない池畔に、しかしよく見ると特徴のある白い花が密集して咲いています。花序が采配に見立てて「采振りの木」と名付けられたそうです。

  桜から「サイフリボク」へ                            

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4月3日散り初めの桜。  池畔に白く光る「サイフリボク」の、木。

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花は4枚の花弁で密集して咲いている。

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ツツジ

4月も半ば過ぎ、朝日を浴びてラジオ体操が始まる。つつじの花が満開。1週間もすれば花は枯れ始める。万事、旬がる事を実感する。

ナンジャモンジャ

やがて、4月の終わりには朝日に映えた白い花を一杯に付けた木に会う。この木は何の木?これが「ナンジャモンジャ」。「ヒトツバタゴ」の木です。対馬には海岸の森が白く光るところがあるそうです。私は明治神宮外苑で大きなこの木があるのを見ました。

                        
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コデマリ

道端で垣根に、4~5cmの白い花を一杯付けた木が見られる。「コデマリ」です。一つの手毬にいくつの花が有るのでしょうか。

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5弁のかわいい花が34集まっていました。

アキグミが猛烈にたくさんの花をつけていました。ツメクサが咲き、4つばのクローバが足元に見られます。草が次から次へ。楽しさ溢れる春です。

2.鳥に驚く

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去年の10月にこの池に来たキンクロハジロは、繁殖のためシベリアへ帰る時がきました。100羽以上いた鳥は日を追って少なくなり5月2日、20羽になりました。今年は4月の寒さもあり遅いように思います。

青サギの巣

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平家滅亡時の悲恋物語にまつわる人丸神社の境内に大きい鳥がいるとのニュースを、朝のラジオ体操の常連のお婦人より伺い、その帰途のオウーキングによりました。木の梢に巣が見えて卵を抱く鳥が見えました。「アオサギ」です。幾つかの巣が見えましたが、木の枝の陰で、写真撮影には上手くいきません。翌日に一眼デジカメを持って行きました。森の全体が見える所へ行きました。アオサギが飛んでいました。番いのサギ、巣の小枝を運ぶ鳥も見えました。

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サギの小山が見える県道で、大きい声でなく鳥を見ました。これが初めて見た「ケリ」です。

「ケリ」

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道路横の田圃用地と、草地に広場にいました。ハトより大きい鳥、けたたましい鳴き声、ケー、ケーと鳴きならば頭上に急降下してきます。                       

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しばらくすると草地に着陸します。

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ケリはチドリ科、関東以西の水田で繁殖、九州ではあまり見られなく、最近北部九州に来るという。ここでは畑のヘリを走る子供も見られ、繁殖していた。巣、子供を守るために、人や犬が近ずくと声を出して威嚇してくる。  その声で私にも存在がわかりました。四月一七日に満つ手五月一日も盛んに飛んでいることを確認。

アゲハ

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四月二四日、前日の陽気に引きかえ寒波襲来。玄関脇の階段できれいなチョウが動かない。棒を振ると反応して羽を広げた。きれい。「アゲハ」でしょう。翌朝も同じところにいた。日が昇り、暖かくなると飛んで行きました。今年の極端な寒暖にチョウも戸惑ったのでしょう。

 五月、ようやく暖かくなっ多様です。陽気な「博多どんたく」ソフトバンク五連勝で首位に躍り出ました。今年はやりましょう。

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2010年4月 2日 (金)

2010年3月の身近な自然

3月、長かった冬が去り、希望の春がやってくる。朝のウオーキングも暗いなかの出発から徐々に明るさを増してくる。この変化が最も顕著なのが3月です。草も木も花をつけ、若葉が萌えだす。カラスの声が薄明の中で聞こえ、小鳥が森の中で囀る。ウグイスの声か聞かれる。身近の自然に春の息吹がみなぎる。
 今年の3月は「寒の戻り」が繰り返し、霜や雪の舞う日もあって異常に思えたが、月間気温は例年より0.7度も高いそうだ。身近な自然で特に感じたことを中心に記す。

1.レンギョウ            
  冬枯れの中で黄色の花をいっぱい咲かせるのがレンギヨウです。
0001_2 0002 35年前の春、ドイツ、ツービンゲン大学に友ハナック教授を訪ねました。古都の家々の庭先にレンギョウの黄色い花が咲き、春の日を浴びて人々が庭先に憩う姿が思い出としてよみがえる。
ツルの先に黄色い花をつけた灌木がかなりのの家に植えられている。レンギョウかと思ったが「黄素馨(キソケイ)」と分かるもくせい科ジャスミン属で芳香有とのこと。匂いはあまり感じませんでした。

2.赤い色の花の庭木                          

0003 0005  グランドゴルフの帰路,見らねない赤い色の木を見つけた。家の人に伺うと「ヒメノウゼンカズラ」とのこと。初めての木でした。

3.赤い塀木

                                         

0001_3 0002_2 小さい木にいっぱいの赤い花をつけている。長く咲いている。房状の花、4枚の花弁の花が数個かたまってはいている。「赤き花の木」で検索すると「トキワマンサク」ということが分かった。
 2月の植物園観察会で黄色のマンサクを見ました。成るほど花の形わにています。

0003_2 0004 赤い葉の塀木。新芽が赤くぎっしりと芽吹いている。最近よく見かける木である。「セイヨウカナメモチ」。
 赤い新芽を出すものに楠があるそうです。確かに赤いです。

4.アケボノスギ(メタスコイア)

                                        

0006 0007 生きた化石、1945年中国四川省で発見され1949年日本にも伝えられ、現在各地に植えられている。スギ科ですか冬に落葉する。なぜかしら我々の毎日のラジオ体操場にシンボルの様に立っている。
秋に松かさの様な実を結ぶ。ラジオ体操の間に実を見つけました。

0009 0010 2cm程の実、その中に翼のある小さな種がありました。この小さな種が20mもある木になるのですね。種の発芽を見たいものです。

5.ラジオ体操、ウオーキングの道.       

0012 0030 ラジオ体操は盆地状の周囲1Kmの池のそばの広場で行います。冬は暗く街灯の光で、3月は日増しに明るくなり、丘の上の家に陽光が射すようになりました。ここまで家より10分、途中で50段の階段を下ります。この崖の途中に山さくらがあります。

0028 0029 花と同時に葉が出るのがソメイヨシノと異なる特徴。あの人「山さくら」さん。歯が先に出ている、なんて云うのはダメ。

                                        

0011 0013 池の畔二さくらの道、4月1日の低気圧で桜散る。池には鴨「キンクロハジロ」100羽程、シベリヤへの4000Kmの旅立ちの準備中。

自然の巧みに感動の日々です。

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